- 脳死臓器移植を推進すべき
- 脳死臓器移植は再考すべき
移植を待つ人々
日本で臓器移植を待つ人々は2022年5月現在1万5228人。その内、移植を受けられた人はわずか173人。
特に15歳以下の子供については臓器移植法の法改正があってから6年間でたった12例に留まっています。
一方で渡米して移植を受ける子どもは年に4,5件あり、同期間で30例近く存在します。
脳死臓器移植の合理性
そもそも、脳死とは脳の全ての機能が停止し、2度と治らないことです。
体が人工呼吸器で生かされていても、何も感じず、何も考えられない状態です。
そんな状態で「生きる意味」があるのでしょうか。
一方でその臓器を他の人に移植すれば、何人もの患者さんが命を繋ぐことができます。今まで病気でできなかったことも、できるようになるのです。
一人で何もできない体で死を待つよりも、何人もの命を繋いでその人たちが生きる方が合理的でもあります。
臓器提供は患者さんの未来をひらく、「命のリレー」なのです。これを絶やさずに繋げていくことが重要です。
そもそも脳死は人の死か
脳死は、脳機能が全て停止し、2度と治らないことです。
しかし、それが果たして「死」なのでしょうか。
医師が「死」を判定するには3つの兆候があります。
しかし、脳死では人工呼吸器によって、呼吸も心肺機能も維持することができます。今までの死の定義を「臓器移植」に都合が良いように変える為、作られた死が「脳死」という概念です。
ラザロ徴候
脳死状態でも手足が動くことがあります。これをラザロ徴候と言い、臓器摘出の際にラザロ徴候で脳死患者が暴れないよう、麻酔を打って手足を縛り付けることもあります。
(ラザロ徴候の様子)
臓器移植の第一人者である福嶌教偉医師は、「脳から発せられている信号で動いている訳ではない」「首を落としたカマキリが動くのと同じ」と言います。ですが、普通に生きている時と同じように動くのに、患者が苦しんでいないと言い切ることはできるのでしょうか。
臓器提供をしないことが「悪」のように扱われる社会
臓器提供をする医師をヒーローのように囃し立て、提供を受けた患者の様子を美化して伝えるあまり、臓器提供しないことがあたかも悪いことのように扱われつつあります。
もしも、家族が脳死になった時、家族の臓器を提供してほしいと医師に言われて、罪悪感を持たずにいいえとはっきり言えるでしょうか。
- 脳死臓器移植を推進すべき
- 脳死臓器移植は再考すべき