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1万年間、戦争がなかった『縄文時代』
縄文時代は1万2000年間というとても長い期間でした。小さな争いはあったものの人口が今のように多くなかったこと、また食料が豊富だったために大きな争いごとは起きず縄文時代の人々は比較的穏やかな生活をしていたようです。今回はそんな縄文時代について説明していきたいと思います。
1、とてつもなく長かった縄文時代
下のグラフを見ていただくとわかりますが、縄文時代はとても長い期間でした。弥生時代の始まりから現在までが2400年ですのでそれと比べると縄文時代の12000年は衝撃的な長さです。基本的には縄文土器が使われていた期間を縄文時代と呼び、グラフの通り、草創期から晩期の6つに区分されていました。それぞれの時代、それぞれの地域で人々の暮らしも変わっていき文化が形成されていったようです。
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2、文化的な生活をしていた縄文人
旧石器時代と混同されていた縄文時代が旧石器時代とは異なり人々が文化的な生活をしていたことが1927年の福井県での発掘作業で分かりました。舟や弓、繊維用品、また陶器までも縄文人が作っていたことが分かり発掘作業がされていた当時の考古学者はとても驚いたそうです。後述しますが縄文時代は12000年間大きな争いがなかったために穏やかな人々の生活の中で縄文文化が花開いていったのかもしれません。
縄文土器
3、村ができた縄文時代
気温が低かった旧石器時代には植物があまり自生していなかったため人々は動物を求めて遊動生活を送っていました。縄文時代に入ると温暖な気候になったため、食料となる植物が自生し始めたため縄文人は次第に定住をするようになり、集落ができるようになりました。旧石器時代と同じく狩りも行なっていましたがそれぞれの家や村で食物用に植物も栽培するようになりました。日本人は農耕民族であると言われますがこの頃の日本人はまだ狩猟と農耕、両方を合わせた生活をしていたようです。
4、暴力死亡率が極めて低かった。
縄文時代は他の国や他の時代と比べて、暴力による死亡率が5分の1も低かったという調査結果を山口大学と岡山大学の研究グループが出しました。それまでは「人間は本能的に戦争をする生き物である。」と考えられていたため、この研究結果は世界の考古学者たちを非常に驚かせました。12000年という長い期間の間に文化が花開き、様々なものが当時の人々によって作られましたが、もし縄文時代が戦国時代のようだったらおそらく縄文時代の文化が花開くことなく、現在まで残っている多くの縄文土器も出土しなかったことでしょう。
縄文時代に暴力により亡くなった人の数
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1603/31/news089.html
まとめ
以上、縄文時代の人々の暮らしについて説明させていただきました。縄文時代は気候的にも温暖になり、縄文人の縄文文化も花開き、平和で素敵な時代だったようですね。縄文時代にタイムスリップしても意外と楽しく生活できるかもしれませんね。
水田稲作が日本全土に広まった『弥生時代』
弥生時代は、水田稲作をはじめとして中国大陸の文化が伝わり、北九州から日本全土へと広まった時代です。縄文時代よりも生活が安定したと言われている弥生時代ですが今回はそんな弥生時代についてお話をさせていただきたいと思います。
1、水田稲作により生活が安定した弥生時代
以前は稲作は弥生時代に伝わり始まったとされていましたが、最近の研究の結果、縄文時代の後期には中国から稲作文化は伝わっていたようです。ただ水田稲作が北九州地方に伝わり東日本へと広がったのは弥生時代であると言われています。水田稲作が広がったことにより、人々は米を生産し備蓄する生活を始めます。米を備蓄できるようになったため、その日、食べるために狩りに行く必要はなくなりました。また米の他にも小麦、アワ、ヒエ、小豆などの雑穀が弥生時代から栽培されるようになったと言われています。
2、国単位での生活を始めた。
もともと家族単位、大きくても村単位で生活していた縄文時代でしたが、弥生時代に入り稲作が広まると村々が小さな国を作るようになりました。水田稲作が広まり、米の備蓄が可能となったことで村で守るべき財産が生まれ、米や土地、労働力の奪い合いで村同士が争うようになったことがその理由と言われています。米が備蓄できることにより外敵が増えたわけですから国に属した方が身の安全を確保できます。また争い以外でも人が多く集まれば何かあった時にみんなで助け合えるため、家族から村、村から国へとなり、生活はより安定するようになったそうです。
3、鉄の伝来
中国大陸から稲作が伝わったように、弥生時代には鉄の技術が伝わりました。これにより鉄を使い様々なものを加工することができるようになったため、技術の進歩に伴い縄文時代よりもはるかに便利な生活ができるようになったと言われています。
4、米を使ったお酒が初めて作られた。
日本で初めてのお酒は縄文時代に作られたようですが米を使ったお酒が作られたのは縄文時代後期から水田稲作が定着した弥生時代前期であると言われております。当時、お酒は神聖な飲み物として主に神事に使われていたようですが、魏志倭人伝には「倭の人々は生酒を嗜む」と書かれており、神事の時だけでなく一般の人々も日常的にお酒を飲んでいたのではないかという研究もされています。縄文時代と比べてもし弥生時代が自由にお酒が飲めるようになっていたとしたらお酒好きな人にとっては縄文時代よりも弥生時代の方が暮らしやすいかもしれませんね。
まとめ
以上、弥生時代についてお話させていただきました。縄文時代と比べると人々の争いごとは増えたようですが、水田稲作の定着により人々の生活は安定していたようです。私も弥生時代のお酒をタイムスリップして味わってみたいものです。
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